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ママはなんで私を産んだの?を問い続けた人生を自分の子育てに重ねてみた

子育て

私なんて、生まれてこなければ良かった。

お母さんはなんで私を生んだの?

 

どうも、英語系複業ワーママ・まみです。

 

小さい頃から母に言われていたある言葉。

母が人生の全てだった幼少期の記憶。

そして、母から放たれる衝撃の一言。

これは異国で結婚、出産した母と

その1人娘の幼少期の話です。

大好きで大嫌いな母



小さい子供にとって、母親の存在や

言動はこれからの人生を左右する

重要な役割を持っているもの。

私にとって母は大好きで大嫌いな恐い存在でした。

パパもママも自分も嫌い

「ママは、あなたがいなければ

こんな異国で苦労をしなくて良かった。

あなたがいるからここで生きている。」

ほとんどない幼少期の記憶の中で

鮮明に覚えている母のセリフ。

こんなことや、父の悪口を何度も何度も

聞いていた私が疑問を抱くのは当たり前。

 

じゃ、なんで私を生んだの?

なんでパパと結婚したの?

そんなに嫌な人なら離婚して

韓国へ帰れば良いのに…

私がいるから帰れないの?

私がいなければ良かったんだね。

 

いつしかこんな風に思うようになり

自然と「父=悪い人、ダメな人」と

思うようになりました。

私は、愚痴ばかり言う母と

悪い(と思い込んでいる)父が嫌いでした。

そして、そんな2人から生まれてきた

自分のことは大嫌いでした。

親と離れたくて留学を決意

思春期に入り両親に対する嫌悪感は強くなりました。

「ママは私を生んだから苦労している」

「パパはそんな事も知らずにダメな人」

「私がいなければ良かったのに…」

「こんな家イヤだ。早く離れたい。」

 

自分の存在意義を見出せない私は

中学を卒業後、アメリカへ留学しました。

貧乏だった我が家は、母が自営業を始めて

父の給料は全て貯金にまわせるように。

私は、1日でも早く親元を離れたい一心で

アメリカに行きたい、留学したいと頼みました。

 

 

実は、留学したことで私の価値観や

自分に対する自信は大きく変化します。

それはまた別の機会にお伝えしますね。

大好きで大嫌いな母は、韓国人



私の母は韓国人です。

在日のいとこがいてたまたま

訪れた日本で父と出会い結婚しました。

在日のいとこと父は顔見知りでした。

 

当時の父はまともに仕事もせず

遊び呆けていたろくでなし。

家が貧乏で高校へ行くお金がなく中卒。

それはそれはボロい田舎の家に

両親(私の祖父母)と暮らしていました。

 

こんな家に嫁など来ない

と悩んでいた祖父母ですから

韓国人の嫁でも喜んで受け入れたそうです。

いとこに仕掛けられた偽装結婚

父と母の婚姻関係はペーパー上のみのもの。

母を韓国へ帰したくない(商売に利用したい)

いとこが仕組んだ、言わば偽装結婚でした。

 

とは言うものの、30数年前の日本は

今ほど外国人に優しい国ではありません。

国際結婚も今以上に複雑なものでした。

結婚しても別々に暮らしていた夫婦ですが

度々行政・国家から入るチェック

(偽装結婚でないかを確認するために

家庭訪問したり質問をすること)を

クリアするための既成事実作りで

母のお腹に宿ったのが私です。

 

母は以前、子宮の手術をしていたので

もう子供はできないと医者に言われていました。

なので、この結婚が嫌になったらいつでも

韓国に帰れると高をくくっていたようですが

どういうワケか私を妊娠したのです。

母、38歳

父、29歳の時でした。

母の愛情が重すぎて恐い

30数年前、38歳は超高齢出産。

母子ともに命の危険があるから、と

産婦人科で中絶を勧められた母ですが

自分はどうなっても良いから

赤ちゃんを生かせてほしいと頼み

出産することを決意したのです。

愛情がプレッシャーに変わる時

そんな奇跡のような妊娠に

命をかけて生んだ娘。

母だけでなく、もちろん父も祖父母も

愛情をたっぷり注いでくれました。

でもその愛情は、同時に

プレッシャーでもあったのです。

 

私は母のことが大好きでした。

もちろん、父や祖父母のことも。

でも、母はよく私に愚痴をこぼしていました。

金銭的に苦しいのに他にはけ口がなく

私によく「苦労話」をしていました。

父は結婚後真面目に働いていましたが

老いた両親と娘、嫁ぎ先から出戻った姉の

6人を養うのは大変だったそうです。

 

「ママは、あなたがいなければ

こんな異国で苦労をしなくて良かった。

あなたがいるからここで生きている。」

 

「あなたがいなければ、ママはとっくに

韓国に帰って良い暮らしをしてるのに。」

 

母の言葉を全て受け止めて

信じきっていた幼い頃の私は

次第に自己否定をするようになります。

 

私なんて、生まれてこなければ良かった。

そしたらママは韓国で幸せに

自由に暮らすことができたのに…

私が良い子にしてればいいんだ!

 

私は母と韓国に何度も行っていました。

だから余計に、大好きな母がいつか

韓国に帰ってしまうかもしれないと思うと

恐くて不安で仕方なかったのです。

愛情が強すぎて教育熱心に

当時の母は日本語がヘタでした。

なんせ旅行で訪れた日本に

そのまま住むことになったのですから。

そして友達もいませんでした。

30数年前の日本の田舎は国際結婚に批判的。

増して韓国とは歴史の絡みもあります。

近所の人達は、母を「アリラン」と呼び

”母が何日で出ていくか”で賭け事をして

冷ややかな目で見ていたそうです。

 

娘に自分と同じ辛い想いはさせたくない!

 

そう思った母は、韓国語は一切教えず

正しい日本語を覚えさせるために

私を2歳で保育園に入れて

3歳からピアノへ通わせました。

今でも鮮明に覚えています。

私はひらがな、カタカナを親ではなく

ピアノの先生に教えてもらいました。

 

バカにした近所を見返してやる!

そんな想いもあって母は習い事の鬼と化します。

そろばん、習字、ピアノ、水泳、英会話、塾

この田舎に存在する習い事を網羅しました。

満たされない心と「母」と言う存在

母の期待に応えなければ

母を喜ばせる良い子でなければ…

 

母と自分の存在を肯定するかのように

私は良い子を演じ続けました。

大好きな母に嫌われないように

そして、自分を守るために。

 

それでも幼い私の心が満たされることは

ありませんでした。

私が、自分を好きになったり

認めたりできるようになったのは

アメリカに留学し、ある経験をしてからです。

 

結局、15歳から10年間親元を離れた私。

社会人になってからも

両親への感謝はありませんでした。

とにかく自分を認めて守る。

そのために親の前では良い子でいる。

親はお金だけ出してくれれば良い。

そんな風に思っていた両親に

守られて愛されていた事に気付いたのは

父が他界し自分も母親になってからです。

 

散々母から聞かされて

悪い人・ダメな人だと思っていた父は

大人になってフィルターなしに向き合うと

とても心が温かく寛容で優しい人でした。

 

もっと早くそれに気付けていたら…

もっと家族の存在を大切にできていたら…

自分も母になって思うこと


私もひとりの母親となった今

自分の幼少期を振り返るり気付くことがあります。

子供は母のおもちゃでも、お飾りでも

分身でもないと言うこと。

そして、子供にとって母が与える世界には

人生を左右する偉大な力があること。

 

私は母のようになってはいけない。

いくら自分が辛くてしんどくて

心がつぶれそうになっていても

我が子をはけ口にしてはいけない。

自分の苦労や父親の悪口をぶつけて

我が子の心を潰してはいけない。

自己肯定をサポートする

大人にとっては単なるストレス発散でも

聞かされる子供にとっては地獄。

私は我が子に自分が味わったような

自分の存在を責めることや

自己否定はしてほしくないのです。

 

そのためには、子供との向き合い方

親としての存在意義を知る必要があります。

自分の母の尊敬するところを真似して

そして彼女を反面教師にして

苦しい時も娘と夫と笑っていられるような

そんな心の繋がった家庭を築きます。

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